シンガポールで子供を出産したのが28歳。そして、私の息子が1歳になったある日のこと。。ふと胸にしこりを感じ、いやな予感がしてすぐに病院に駆けつけました。皮肉にもその日はちょうど私の誕生日。シンガポールで一番腕がいいと評判だった外科の先生に診てもらえることになりました。『98%良性だと思うけど、念のため、しこりはとっておいたほうがいいから、手術しましょう』とのことでした。診察1週間後に、日帰りで手術可能と言われたので、あまり大袈裟に考えず、午前中に手術の予約を入れ、午後にはお友達とランチの約束をしていたほど。
そして、手術当日。麻酔もまだ完全にさめなていない私に『Dear、あなたガンがありましたよ』と突然告げられたのです。手術直後で頭が働かず、何がなんだかわからないまま、ただただ動揺するばかり。ショックは突然の宣告だけでは終わらず、何の心の準備がないまま右胸の一部がごっそりなくなっていました。手術前、『しこりがガンであった場合、切除しますか?』という書類に、『YES』とサインをしていたのです。2%の確率しかないガンが、まさか本当にガンだと思わずに。。ものすごく喪失感がありました。
手術後の治療はすぐにスタートしました。治療法は、アメリカのガン専門病院で有名な、テキサスのMDアンダーソンでの教授であった先生に担当してもうことになりました。『一番強い抗がん剤をしましょう。若いあなたなら大丈夫』。治療をしなければ生存率は50%。治療をすれば生存率が90%になる可能性があるという説明に、何の知識もない私に、他の選択などありませんでした。抗がん剤に放射線治療の辛い辛い壮絶な闘病生活がはじまりました。
食欲はなく、食べることへの恐怖感もあり体重は40キロに。副作用で髪の毛もまつ毛も全て抜けてしまいました。もうこんなに辛い治療は絶対にしたくない。。と思う日々
息子は1歳で、一緒に居てあげなければいけない時期なのに、お世話することもできずとても寂しい思いをさせてしまいました。『この子が2歳3歳で、ママが居なくなるなんて、かわいそう。。』だと、毎日毎日泣いて過ごした1年でした。
そんな時、落ち込んでいる私を励まそうと夫が買ってきた本『次世代のアロマセラピー』が、私の自然療法との出会いでした。この症状には、この精油、またはこの芳香蒸留水で。。という内容に『健康になるために自分でできることがあるの?』と衝撃でした。それまで、病気を治すのはお医者さんの役目だと思っていたからです。そのお医者さんでさえ、『私はどうしてがんになったんでしょう?』という質問に答えられませんでした。ただ、『これからは、検査をして異常がないかを確認することが大事です』と。私の頭は??また病気にならない手段はないの?そう思っていた時に手に取った、アロマセラピーとの本。すぐにスクールを探し、ホリスティックアロマセラピーを学びました。『自分の健康に責任をもつ』という言葉がアロマのテキストにのっています。食生活も健康にも無知・無関心だっためちゃくちゃな生活からまず全てを見直し、一から勉強し、自分を守るための旅がはじまったのです。
1回目のがんの発見から9年経った時、私は夫の転勤で上海で生活していました。そして、2回目のガンの発症。『こんなに自分はがんばったのに、やっぱりガンになるのか。。』とショックでした。『自然療法もアロマセラピーも、何もかも信じられない。どんなにがんばっても、ガンになってしまうのだから。』と絶望し、また毎日泣いていました。そんな時、子どもの学校から呼び出しを受けました。我が子が、期末テストを白紙でだしていたのです。『お母さん泣くのはやめてください。お子さんがすごく心配しています。”ママは死なない、大丈夫”とお子さんに言ってあげてください。』と先生からのお叱りをうけてしまいました。その時、息子はまだ10歳。その日、一緒にお風呂に入って『ごめんね。ママ泣いたりして、ママ頑張るから!絶対死なないから。大丈夫!テスト書かなかったんだって〜?それはよくないね〜笑』と話したのを覚えています。先生からの Wake up call!『生きなくてはいけない』と、自分の意識が変わり、また私の旅が再開したのです。
2回目のガン(左胸)は、日本で手術を受けました。1回目の手術で左右の胸に差があり、毎日人の目を気にしながらの生活に疲れ、もっと自分の体を好きにななれるようにと左右の胸を同じかたちに再建してもらうことにしました。その後の治療は、主治医がいるシンガポールでの抗がん剤治療を3ヶ月。そして、上海と日本を3週間ごとに通い、ハーセプチンという治療を4ヶ月。苦しい治療を淡々と続ける毎日でした。
子供の時から、恥ずかしがり屋で、何でも怖がり、傷つくタイプ。人のお世話をするのが好きでもありながらNOと言えない性格で気づかぬストレスをためていました。自然療法を学んで一番気付かされたのは、この心のストレスが体にも影響を与えていたことでした。そう、心と体が繋がっていることの重要さに。まず食事に気をつけ、運動をして、ライフスタイルを変えました。そして、心が『あ〜嬉しい。幸せ。ふふふ。』と思うハッピーな時間を1分1秒でも増やそうと考えました。自分の好きと嫌いを心で対話しながら、一番自分の心が居心地いい場所に向かうよう、心と身体のバランスを整えることを目指しました。
私がシンガポールで最初に通った学校は、『ロンドンスクール・オブ・アロマセラピー』。英国のアロマセラピー団体・IFAの資格が取れる学校です。その後、もっと理解を深めるため、『アメリカンカレッジ・オブ・ヘルスケアサイエンス』のアロマセラピーディプロマコースを3年間、オンラインで学び米国のアロマセラピー団体であるNAHA認定アロマセラピストになりました。そのあと、私がとても興味をもったメディカルアロマセラピーをアメリカに導いた第一人者であり、化学者でもあるKurt Schanaubelt先生との出会いもこの時期です。カート先生との出会いにより、フランスアロマ業界で有名なダニエルペノエル博士の本格的なメディカルアロマセラピーを学ぶ機会も与えてもらえました。シンガポール滞在中には、バッチフラワー・ゲルソン療法・キネシオロジー・ジュースセラピー・ハーブ療法・レイキなど、自然治癒力を高めるもの、ウェルビーイングに繋がるものを学び、体験しました。
2003年から、夫の転勤で上海での滞在中も、ウェルビーイングの旅は続き、東洋医学をベースとしたリフレクソロジーを学び、その他には、リンパ節を切除されてしまった私の腕はいつリンパ浮腫になるかわからないことから、リンパの仕組みと予防のためリンパ浮腫セラピストの資格を日本とカナダで取得しました。
だんだん、知識も増え、バランスの取れた生活ができるようになったある日、お友達にアロマセラピーを教えて欲しい!と頼まれ、世界で学んだ全ての知識と情報をオリジナルテキストとして制作し、自宅でホリステッィクアロマセラピーの教室や、ワークショップを開くようになりました。通って来てくださった生徒さんには、アロマセラピーの専門的な知識だけではなく、自分に意識を向けることの重要さや、自分の心の気づきなども含めて、ホリスティックなアプローチ(一部だけでなく全体をみて対策をとる)をシェアしたつもりです。ウェルビーイング(身体が健康で、心もハッピー、バランスの取れた状態)とは、人それぞれのやり方でその居心地のいい場所へ向かえばいいと思います。私自身は、その方法の一つとして大好きな香り・幸せにしてくれる香りを使います。
私自身の様々な学びの経験から、健康への取り組みは、確実に全ての方の『Beauty・美』に繋がると思いました。私の場合、息子や家族のために生きのびるという健康への取り組みでしたが、同じようなことを、Victoria Secret(ビクトリアシークレット)のスーパーモデルの方達もやっているんですもの。では、どうやって?アロマセラピーを学ばなくても、多くの女性(男性)たちがただ手に取るだけにした商品を私が作ればいいじゃないかと。。15年間学んだ知識と経験と感覚をこの商品に込めて。自分の思い通りの商品を作るために、自分でホームページからさがして、オーガニック化粧品を開発している会社に企画を持ち込むけれど、こだわりが多すぎて、担当者さんから連絡がこなくなりました。
いくつもの会社に商品を作ってほしいと説明に行き、自分の思いを伝え、ようやく自分の満足のいく商品を作るために協力いただける企業さんに巡り会えました。
道のりは遠かったけれど、やっと自分でも満足のいく香りの商品に仕上げることができて商品化できることになったのです。
病気のある方にとっては、リラックスできて健康につながるような商品を、また、今は健康な方も病気にならないための状態を維持し、より内側から美しくなれるような商品を提供して、多くの方のウェルビーイングにつながる一歩になれたらと考えています。